僕はなぜエルサレムに行ったのか」村上春樹〜独占インタビュー&受賞スピーチ〜読後感

文芸春秋 2009,4 p.156〜169
「僕はなぜエルサレムに行ったのか」村上春樹〜独占インタビュー&受賞スピーチ〜



村上春樹のエルサレム賞受賞の報道だけはされたものの、あまり詳しくは報道されないまま過ぎようとしています。その受賞スピーチを図書館でコピーしてようやっと目を通す事ができました。スピーチの英和文と、より具体的なご自身の注釈付きでより解りやすく把握することができて胸のつかえがとれた感じです。

この場に自分なりにまとめてみたいと思います。


賞を戴けるのはとても名誉なこと。それを手放しで喜べなかった理由はご存知の様に今現在のイスラエルの賞であるからです。しかし、村上氏は賞を受けスピーチをすることを選びました。

その理由の一つは、この賞はエルサレム・ブックフェアに所属する賞であって、国家から招かれる訳ではないこと。又、今まで受賞したアーサー・ミラー等もイスラエルに対する批判も含めてイスラエルの人々の前で自由にスピーチが出来た経緯があること。さらに、世間の意見よりも、自分で実際に観たり触れなければ実際のところは解らないという小説家気質とでもいうものが、村上氏を授賞式に向かわせた理由であると書かれています。

そして政治家の様な直接的メッセージではなく、小説家として伝えたいという思い。上手な嘘つきという表現にあるように、事実を明確に掴んだ後に、それを暗喩に置き換えて巧みな嘘として見せる。そんな形で自分からのメッセージとして伝えたのです。

それがスピーチのタイトルである”Of Walls and Eggs”です。「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。」ここでの壁は国家やシステム、卵は一人一人の個人を指しています。

ここでのシステムという言葉にはイスラエルがパレスチナ自治区で行っている行為も、オウム心理経等の原理主義も、かつての日本がとった軍国主義なども含まれています。

その上で村上氏が小説家として常に描いてきたのは「生と死、愛の物語を描き、個々の魂のかけがえのなさに光りをあて、システムに絡みとられることのない様に警鐘をならす」ことだという考えが語られています。

イスラエルというくくりではなく個人として人々に会えば、決して皆が同じ考えをしている訳ではない。自分の意見を誠実なものだと言って褒めてくれた人もいれば、村上氏の作品のファンだという人にも会えた。それは「一人一人の個人」が全ての出発点だ、という彼の立ち位置をはっきり伝えたことで得られた経験であるはずです。

この後彼は正論だけでは語れない、イスラエルの人々が過去の歴史からトラウマのようにしょわされているものの重みを思えば、いい加減な言葉では語ってはいけないことも、でも現実的に一般人が巻き添えをくって死んでいくもどかしさにも触れています。

如何に彼が今のこの時期にこの賞を受け取りスピーチをしに行ったという事が偉業であり、それは確固としたプロ意識に裏打ちされたものであるということが言えるのではないでしょうか。

私はまだ村上作品から卒業出来ていないようなところがあります。『海辺のカフカ』『ねじ巻き鳥クロニクル』『アンダーグラウンド』等の長編を夢中になって読んだし羊男の世界も短編の小気味よい世界もいまだに大事にしまっています。それだけに、村上氏の本物としての力がみえたようで嬉しかったのです。

改めて村上春樹さんのイスラエル賞受賞に敬意を表したく拙くも文章にまとめた次第です。本当におめでとうございます。
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by t2mina | 2009-03-22 22:29 | 本・映・音・展