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実は父が

今日戻りました。
今回の帰省は、実は、父が入院した為の帰省でした。

水曜日の朝の母からの電話では、何とか落ち着いているけれど、高齢でもあり、今回は長引きそうだということでした。
でも、あんまり素早くは考えられなくて、持っていくものを用意し、職場の上司に連絡を入れたり、携帯は持っていたほうがいいだろうと手続きをしたり、等をもたもたしてしまい、何とか、その日の夕方、実家に到着しました。

翌日から集中治療室を出て二人部屋に移れることになり、母には少し休んでもらい、私が病院に向かいました。点滴やら心電図の為の器具をつけながらも、父は意識はしっかりしていました。私は、ほっとしたものの、父は動揺しているようでした。

少し時間が経つと、「家に帰ろう」と我がままを言って点滴をとろうとしたり、看護婦さんになだめてもらって落ちついたり、ご飯を食べたから落ち着いたかな、と思ったらまた同じことを言って困らせたり、を何回か繰り返しました。

夕方に、主治医の先生に診察してもらって、何とかその晩は泊まると言ってくれました。

翌日も何回か帰ると言って聞かなくて、怒ったり、なだめられたり。私にも、どうして言うことを聞いてくれないんだ、と怒った時には、さすがにつらくて涙が出ました。

その日も診察があったので、そこで先生に話をしてもらい、翌日は母も来るから、と言うと、納得してくれました。毎回毎回、看護婦さんや先生は、優しく根気よく語りかけて下さって、感謝のし通しでした。

「母さんに会いたいのよね。」と聞くと、「そりゃあ母さんはなあ、、、」と即答の父でした。

娘といっても、離れて生活しているわけで、いきなり来た所で言う事は聞いてもらえないんな、当たり前だ、と思いながらも、つらくてつらくてトイレで泣いていたら、私まで看護婦さんに慰めてもらいました。

帰ってから、でも、慣れてもらうしかないもんね、と母と話し、翌日、よし!また困ったら看護婦さんに素直に頼んじゃうから、行ってきます!と気合を入れて病院に向かいました。

そおっと病室の扉を開けたら、あらら、その日はおとなしくベットに横になっていました。

拍子抜け。

何だか、子どもみたいです。

それが昨日。

ようやく私が毎日来ているんだと言う事も納得し、自分が苦しかったからここにきた事も思い出し、会話もいつもの父の声に戻ってきたようでした。夕方には母も来たので、本当に父は嬉しそうでした。悔しいけど仕方ない。完敗です。

今日は朝から私が病院に行き、爪を切ってあげたり、髭剃りを持っていってあげたり、お昼からは母が来て、私は戻ってきました。

「帰るときには、ありがとうな、ラッシュになる前に早く帰れよ。」と父は言ってくれました。
よかった。

そして、もう一つやってきたのは、介護保険の範囲で受けれるサービスを受ける為の手続きでした。父も母も高齢なので、無事退院できても、自分たちだけやるのは難しい事が出てくるだろう、というアドバイスを看護婦さんに頂き、早めに手続きすることにしたのです。

自分が近くにいないというのは、責めの気持ちになることもあるのですが、それぞれがそれぞれの生活をかかえて回っているのは現実なんです。その時にできることを考えて行動していく事が自分も両親も無理をしていないベストなことではないか、というのが今の気持ちです。

でも、これからは月に2回くらいは様子を見に帰った方がいいだろうと、思っています。後は、まめな電話。それ位はできるから、無理しないでやっていこうかな、と。

あと、仕事に対しては、いろいろあるけれど、このまま続けていかねば、です。
大事にしなければならないものがあるとなると、文句言わないで働かなくっちゃ。

少し距離が離れている私と両親ですが、こんな形でやっていけるかなあ、自分の5年後10年後はどんなだろう?と思いながら新幹線に乗っていました。

持っていった角田光代の本に「大事なのは、この人が誰か、業績が何か、知名度がどうだという事ではなく、何にも左右される事なく私の気持ちが揺れたこと、それだけじゃないか~
もし100歳まで生きたとしてもきちんと揺れてくれる気持ちであったらいいなと思う。」という表現がありました。

それは、父の話には直接は関係ない内容なんですが、今はそんな気持ちです。
by t2mina | 2006-03-26 23:24