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子ども・大人・老人

先週聴いた児童文学の講座から。

子どもと老人の共通性とは、どちらもあの世に近いことである。
生まれるまえの世界と死後の世界という意味において。
そして、どちらも、存在することに価値がある。
こちらは知恵が司る世界で、質的世界という。

これに対して大人は、目的を持って生産して獲得していく存在である。
そこにあるというよりは、するという存在。
こちらは知識が司る世界で、量的世界という。
この世界が大きくなりすぎて質的世界を圧迫すると、
虐待や早期教育に走るなどのひずみがおこる。

なぜなら、存在するだけの老人に価値が見出せず、
自分もそうなる事が怖くなるから。
また、子どもを早く生産できる存在にしたくなるから。

パラドックスとしての認識
①老人は口がうるさい。それはいつも放っておかれるから
②老人は社会の進歩についていけない。ついていけないから価値がある。
③老人は何もできない。何もしないから価値がある

もちろん、老人の年令は線を引けないし、どうしようもない人がいるのは
大人でも同じこと。自分の利益のみで生き続ける場合もあるから。

だとしても、存在としての子どもに始まり、生産としての大人になり、再び存在としての老人になって一生が終わる流れは変わらない。

そして、大人だけができるのは子どもと老人、両方の時代をイメージできるということ。
大人がいなければ、それはできない。

色々な地域、年令、職業、などなどのなかに個人がいて家族があって、地域があって、社会が構成されている。
家族の中心も必ずしも父ではなく、その時々によって微妙に変化させていくのが今流である。

っていうお話でした。

これを聴いて、私、自分が小さい時によく遊びに行ったお宅にいたおじいちゃんを思い出しました。なんていうのか、しつけるとかではなくて、そこにいて話を聴いたりしていただけなんだけど、まだ覚えてるんですよね。
それから、父の事も、存在していてくれることをうれしく思いました。

いや、書いててちょっとお利口っぽいというか、でも聴いて面白かったので要約して載せてしまいました。

「風の歌が聞こえますか」のアウェイさんのhttp://www.mypress.jp/v2_writers/song_of_wind/story/?story/_id=1054444「持つ様式」と「ある様式」という記事、興味のある方はどうぞ。
by t2mina | 2005-06-26 20:12 | 本・映・音・展